こころのプラネット

間違った生き方や考え方が自分を苦しめていた・・・ 不安障害で苦しんだ当事者が出会ったこころの真実。森田療法を中心に、マインドフルネス・仏教心理学などを通して 苦しみの本質に気づき、とらわれのないこころのあり方さぐります。

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こころの断捨離

投稿日:2020年12月31日 更新日:

断捨離とは

断捨離ブーム

さまざまなモノであふれている生活。そんな生活からの反省でしょうか、「断捨離」をうたった片付け術がブームです。人とモノの関係を考え直してみようという精神的な背景も感じられ、また「断捨離」という言葉の潔い響きもあって共感を呼んでいるのかもしれません。

断捨離の対象は人間の欲望

「断捨離」という言葉は、もともとヨガの修行法(断行・捨行・離行)からきた言葉のようです。
断捨離が対象とするのは人間の欲望・欲求です。私たちには、生理的な欲求(食欲・性欲など)、所有の欲求(金・モノetc)、所属の欲求(地位や立場、家庭、組織etc)、承認の欲求(評価・称賛etc)、自己実現の欲求(理想実現・自分らしい生き方etc)などさまざまな欲望・欲求があります。

断捨離の意味

断捨離の「断つ・捨てる・離れる」はいずれも同じような意味で、上にあげたような欲望と自分との関係を断つ、こだわり・とらわれを捨て去る、思いを手放す、対象から距離を置く、そこから離れるということを意味しています。

欲望があるから執着する

欲望は生きるエネルギー

しかし、欲望が断捨離の対象となっているからといって、欲望そのものが悪いわけではありません。人間の欲望は正しく適切に発動されている限り、人間が生きていくための大切なエネルギーです。食欲をすべて断ってしまえば死んでしまいますし、自分を認めて欲しいという気持ちがまったくなくなれば、生きるための意欲も失われます。

問題は執着するこころ

問題は欲望そのものではなくその欲望に「執着」する心です。「執着」とは、一つのことに心が奪われてそこから離れられないことを言います。「とらわれ」とも言います。

執着には、
①自我への執着(私は自分の力で生きているという自分中心の世界観が執着を生む)
②モノに対する執着(自分が所有しているモノは自分のアイデンティティとなる。モノと自分が一体化し執着が生まれる)
③快への執着(どこまでも快を求め不快を忌避する心が執着を生む)
④所属への執着(一人きりでは生きられない、安心の場を確保したいという欲求が執着を生む)
⑤自己承認への執着(自分を認めて欲しいという欲求が執着を生む)

などさまざまな形で存在しており、私たちは気がつかないうちに執着にがんじがらめになっています。そして、その執着が悩みの根源である過剰な欲望を生んでいるのです。

こころの断捨離

とらわれを断つ・捨てる・離れる

断捨離はその執着から解放されるための一つの方法です。

ですから、表面的には欲望を断ったり、モノを捨てたり、社会的な立場から離れたりということになるのですが、根本的には、そうした「こころ」の中にある「とらわれ」を「断捨離」することに他なりません。つまり「こころの断捨離」ということになります。

断捨離で自由を手に入れる

そして、断捨離することによって、私たちは無意識にもっていた執着する心や甘え、自己中心的な考え方、依存心、慢心、無関心などに気づき、その結果、モノや人の価値、ありがたみ、感謝などが自覚できるようになります。そして、そのことによって初めて、とらわれのない自由なものの見方、考え方が出来るようになり、悩みから解放されるというわけです。

諦(あきら)める

断捨離と同じような意味で「諦(あきら)める」という言葉があります。

真理に達し迷いがなくなる

一般的に私たちは、「諦(あきら)める」という言葉を、悔いや心残りはあるが仕方がなく放棄する、ギブアップするといったニュアンスで使っています。

しかし、「諦める」の「諦(たい)」は、仏教では「真理」や「真実」を意味します。
だから、本来の「諦める」は、真実を「明らかにする」、さらに言えば「ものごとの真理に達し、迷いが無くなる」という境地を意味することになります。

積極的に断念する

繰り返しになりますが、「諦める」の一般的な解釈は、心のどこかに未練や迷いが残っていますが、本来の「諦める」には、「ものごとの真実」が明らかになり、迷いが無くなった状態、つまり、これまでの考えはきっぱり捨てる、積極的に「断念する」という意味になるのです。

森田療法のあるがまま

感情はコントロールできない

その例を森田療法で考えてみます。不安を治療の対象としている森田療法では、「あるがまま」という心の態度を治療の根本としています。不安があっても、それはあるべくしてある人間の自然な感情であるから、あるがままにしておくしかないという考え方です(「森田療法とは」参照)。

「あるがままにしておくしかない」というのは、「不安は自然なもの」という真理を前に人間には何も出来ないという認識があるからです。そして、不安は「そのまま」に「生の欲望」(より良く生きたい)というポジティブな面に焦点を向けるよう導くのです。そこには、不安という感情を相手にあれこれやりくりしても無駄である、それゆえコントロールしようという考えを「断念する」という強い意志が感じられます。つまり、本来の意味での「あきらめる」ということです。

コントロールできること・できないこと

「コントロールできる」という思い込み

このように、私たちは往々にして、自分で「コントロールできない」ことを「コントロールできる」と勘違いし悩みを深めています。社会生活や人間関係で悩んでいる人にはこうした誤った思い込みが見られます。

現実を思い通りにはできない

私たちは生きるために社会生活を営み活動しています。その社会にはさまざまな人が暮らしており、考え方もさまざまです。また、さまざまな規律や約束ごともあります。ですから、自分がこうしたいと思ってもなかなか思い通りにはいかないことばかりです。
無意識のうちに不平不満がたまりストレスに苛まれています。

その原因は、結果という自分では「コントロールできない」ことを「コントロールできる」と錯覚して、うまくいかないと苦しみ悩んでいるのです。

つまり、私たちが「コントロールできる」のは現実に働きかけることだけであって、結果については「コントロールできない」のです。もし、不本意な結果であったとしても、「あきらめる」しかありません。そして、改めて努力するしかありません。つまり、私たちが「できる」のは、自分が最善と思うことを一生懸命やり続けるしかないということです。

他者を思い通りにはできない

同じことですが、他者を思い通りにすることもできません。他者は他者の考えがあるからです。

もちろん、他者に働きかけることはできます。しかし、結果は分かりません。もし、相手が自分を評価してくれなくても「あきらめる」しかありません。相手は自分とは異なる価値観や考えを持っているからです。唯一私たちが「できる」ことは、他者に対して、見返りを求めないでどこまでも努力・誠意を尽くすしかないということです。

アドラーの「課題の分離」

心理学者のアドラーはこれを「課題の分離」と言っています。

自分の課題(自分が自分で責任を持つべきこと)と他者の課題(他者が自分で責任を持つべきこと)をきちんと分離して考えることが対人関係の悩みを解決するのに大切であると言います。

自分の課題・他者の課題

なぜなら、私たちは他者の期待を満たすために生きているわけではありません。自分が選択したことに対して他者が自分にどんな評価を下そうと、それは他者の課題(他者が自分で責任を持つべきこと)であって、その結末を他人がどうしてくれるわけでもありません。最終的に引き受けるのはこの自分です。

自分を変えることが出来るのは自分しかいません。それには自分の課題(自分が自分で責任を持つべきこと)をやりとげること、つまり「自分の信じる最善の道を選ぶこと」それだけである、と述べています。

できることはたった2つ

コントロールできるのは「考え方と行動」

それでは、自分がコントロール「できること」は何でしょうか。「できること」はたった2つです。それは自分自身の「考え方」と「行動」です。

「できないこと」で述べたように、悩みの原因が自分にあれば、現実に適応して自分の「考え方」を変えることは「できる」。また、環境に原因があれば、そこに働きかけるための「行動」をとることは「できる」。それが「できること」のすべてです。しかし、その結果をコントロールはできないのです。

できないことは断念する

「できること」は行い、「できないこと」はあきらめる

結局、私たちにできることは、自分がコントロール「できること」は行い、「できないこと」は「諦める」という単純な結論に行きつくしかないのです。

努力・意志を放棄する

何度も言うようですが、この際の「諦める」は、断念する、すっぱりと縁を切る、自らの努力・意志・分別を放棄して真理に任せる、そうした意味です。それはそのまま「断捨離」ということとつながっています。そうすることによってはじめて次への新しい展開が開けるのです。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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大学卒業後、放送局にて制作・報道などに従事。その後映像会社設立。
思春期より不安障害に悩む。自助グループで活動するかたわら心理学を学び、臨床心理士・公認心理師の資格取得。

名古屋市在住。2015年より長野県安曇野市で300坪の畑を借り都会と田舎の二拠点生活を始める。家族は妻・子ども3人・母。趣味は野菜づくり・読書・世界辺境旅行など。

 

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