こころのプラネット

間違った生き方や考え方が自分を苦しめていた・・・ 不安障害で苦しんだ当事者が出会ったこころの真実。森田療法を中心に、マインドフルネス・仏教心理学などを通して 苦しみの本質に気づき、とらわれのないこころのあり方さぐります。

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心理学としての仏教

投稿日:2019年11月25日 更新日:

心理学としての仏教

“現代科学に欠けているものを埋め合わせてくれる宗教があるとすれば、それは仏教である”  (A.アインシュタイン)

私は仏教には現代の人が学ぶべきことが沢山あると思っています。ただ、仏教というと宗教の意識が強く、それを信仰しない人にとっては近寄りがたいイメージがあることは否定できません。

しかし、仏教はその起源を辿ればブッダという傑出した人物が「人間のあり方や生き方」について洞察したことをまとめた「人間学」の集大成であると言えます。

さらに言えばそれは人間のこころを深く見つめ探求した中から生まれた、真の意味での心理学ともいえるのではないかと思います。

そして、仏教(宗教)が担う大切な使命は人間の「苦悩からの解放」ということであれば、その意味で仏教は心理療法の機能をも担っているともいえるのではないでしょうか。

自分とは何か

仏教を学ぶということは必ずしも帰依や信仰を必要とするものではありません。

この苦しみを作り上げている「自分」とは何であるのかを知ろうとすることです。そしてその「自分」から解放され、新しい「自分」になっていくことをめざしていくものです。

しかし、「自分」つまり心理学でいう「自我」または「自己」についての考え方は西洋と東洋では全く異なります。

西洋思想における自我

西洋においては「我思う、ゆえに我あり」で分かるように「自己・自我」の存在が大前提です。それ以外の人・もの・環境はその対象として存在します。

それゆえ、人生の目標は「自己」を実現すること、その能力を十分に発揮すること、になります。

東洋思想における自我

それに対して東洋(仏教)では、「自己・自我」と「対象」は対立的なものではなく、全体のそれぞれ一部であり、全ては一体で連続的なものとして捉えています。仏教ではそれを「縁起」として説明しています。

「縁起」とは、ものごとはさまざまな原因(因)や条件(縁)が相互に関係しあって存在しているという意味です。つまり、私という存在はそれだけで存在するのではなく、あらゆるものとの繋がりの中で相互に共存しているということです。

それゆえ、「自己」の実現はその目標とはされません。

そもそも「自己」という概念は一種の思い込みであり、「自己」というものはない。むしろ「無我」という自覚に至ることこそが目指されることであり、「自己」は実現されるものではなく超越されるものであるとされています。

とらわれを生む「自分中心」の世界

超越という言葉を聞くと、スピリチャルなイメージを抱く人がいるかも知れませんが、決してそうではありません。
私の理解では、「超越」とは「パラダイムシフト」という意味だと考えています。

「パラダイムシフト」とは、“これまで当然のことと考えられていた認識や価値観などが根本的、劇的に変化すること” を言います。

つまり、従来の「自己」、つまり「自分中心」の世界はさまざまなとらわれや執着を生みます。それが悩みや苦しみの元なのです。

しかし、「自分」は中心ではなく、自然を含む全体の中で生かされていると考えればその苦しみは大幅に軽減されます。仏教にはそうした従来の自己の概念や世界観を覆す洞察に満ちています。

本来の自己に気づく

例えば、仏教の瞑想法(ヴィパッサナー瞑想)では「今この瞬間の体験に気づきそれをありのままに受け入れる」ことを通して本来の「自己」に「気づく」ことを目標にしています。

これは従来の「自己」を超越するという意味でもあります。

つまり、「評価や判断を一切しないでありのままに受け入れる」とか、「過去や未来にとらわれないで今ここで体験していることにありのままの意識を向ける」ということは、

従来の「自己・自我」(自分中心の世界観)を捨てるということであり、これまでの「認識や価値観などが根本的、劇的に変化すること」に他なりません。これはほんの一例にすぎません。

心理学に新しい光を当てる

相対性理論を発見したアインシュタインは、「仏教は近代科学と両立可能な唯一の宗教である」と述べました。

ブッダ誕生から2500年。人間のこころを深く見つめ探求した人類の智慧ともいうべき仏教思想を現代にどう生かすか、今私たちに問われています。

仏教の教えは「人間のあり方や生き方」を示したもので、直接的な心理療法の技法を提示しているわけではありません。
しかし、だからこそ現代の心理学とは全く別の観点から人間の心理に光を当てることが出来ると思っています。

こころの悩みで苦しんでいる人は、その症状だけでなく、生き方や考え方も問題を抱えています。そこに気づかない限りその人の苦しみの根は存在し続けることになります。

生き方や考え方は単なるアドバイスで容易に変わるものではありません。文字通り、パラダイムシフトとも言うべき深い気づき(転換)があってこそ人は変わるのです。

その意味で仏教の果たす役割はとても大きなものがあると思っており、今後も私自身が学びながらお伝えできたらと思っています。。

【参考】「心理療法としての仏教」安藤治(法蔵館2003)

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プロフィール

石井 勝
大学卒業後、放送局にて制作・報道などに
従事。その後独立。
思春期より不安障害に悩む。自助グループ
で活動するかたわら心理学を学び
臨床心理士・公認心理師の資格取得。
名古屋市在住。2015年より北アルプスの麓
長野県安曇野市で300坪の畑を借り
都会と田舎の二拠点生活を始める。
家族は妻・子ども3人。
趣味は野菜づくり・読書・世界辺境旅行等

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