自助グループは支え合い
自己受容の前提は他者からの受容
自助グループの受容的な空間は、参加者に安心感や自己効力感を高めてくれ、ありのままの自分でいいんだという「自己受容」の増大に大きな力を発揮しています。
私たちが自分自身を受け容れるためには、その前提として他者によって受け容れられているという経験が何よりも重要だということです。
母親からの愛着
私たちにとって「他者からの受容」の最初の経験は、母親(あるいは養育者)から与えられるものです。愛着とも言います。
人が自己を受容できるためには、その前提として母親(養育者)、家族、又は他者によって受容されるという経験が重要であるということです。
自己受容と他者受容
そして、一般に自己受容の高い人は他者を受容する傾向も高く、同時に他者からも受容されていると感じる傾向が強いと言われています。
「自分は他者から大切にされている」という思いは、幸福感、安心感、自己効力感などさまざまな心理的問題に関係しているとされています。
支え合いの機能
つまり自助グループでは、自分が「他者から支えられる」とともに、その支えられている自分が「自分を支える」、そして、そんな自分がさらに「他者を支える」という自助と互助という関係の中で成り立っているのです。つまり、自助グループとは「支え合い」という機能が働いているグループと言えます。
親密で人間的な空間
社会学者A.ガートナーとF.リースマン(1977)は、自助グループのようなヒューマン・サービス(人間に働きかける活動)は、必ずしも専門的な知識を持たず、訓練を受けていない人たちによって行うことが出来るとしています。むしろ、彼らの活動は、人間性、親密さ、配慮、日常的な経験と常識、奉仕の精神、時間の積み重ねなどに基づいて行われていると述べています。
つまり自助グループは、専門家や治療者による問題解決・治療空間とは異なる空間であるということです。そこでは、上に述べたような系統的な知識ではないものの、“より親密で、人間的” な能力や技術によるものであるということです。
貴重な体験的知識
その一つと言ってもいいのが「体験的知識の共有」ということです。
体験的知識というのは、その問題の専門家ではないメンバーが自らの苦しい体験を経てつかんだ知識のことです。
専門家ではないのでいろいろな失敗や間違って理解してしまうこともあるかもしれません。しかし、失敗からも学べることが多くあり、それはそれでとても貴重な知識です。つまり、そうした知識がグループ内で蓄積され体系化されたものと言えます。
自助グループの研究者ボークマンは、それを「体験的知識」と呼び、医者など専門職のそれと比べても、より実際的で生きた知識であると高く評価をしています。
わかちあい・ひとりだち・ときはなち
わかちあい
同じ自助グループの研究者である岡知史(1999)は自助グループの働きを、「わかちあい」「ひとりだち」「ときはなち」と分かりやすい言葉で説明しています。
「わかちあい」は先に述べたように、悩みや気持ち、経験、情報を分かち合うことです。
ひとりだち
「ひとりだち」は、自分自身の問題を自分自身で引き受け・解決し、社会に参加していくことです。
自助グループでは、医療のように誰かが悩みを治療してくれたり、解決してくれるわけではありません。理解し共感してくれる仲間ではあっても、あくまでも悩みや問題を解決するのは自分自身です。
その上で、自助グループでは、集まりの世話役をしたり、司会をしたり、対外的な交渉を任されることもあります。
そのことによって、自分の問題を対処できるようになったり、自分をコントロールできるようになり、自尊心や自己効力感などを高めます。
つまり、お互いが支え合う中で、自然と「ひとりだち」の力が育まれていくのです。
ときはなち
そして、「ときはなち」は、こうした自助グループでの活動によって、これまで自分自身が縛られていた既成概念、抑圧的なこころを解放し、いまある自分を受け容れることが出来るようになることを意味しています。
合わない人も反面教師
もちろん、自助グループもいいことばかりではないかも知れません。中には考え方が違ったり、相性の合わない人がいる場合もあります。
しかし、私が大学院の研究調査でインタビューした人たちは、そうした人に対しても「反面教師」と前向きに受け取っている人が多かったのがとても印象に残りました。
グループ活動の中で自己受容が育まれ、文字通り「ひとりだち」「ときはなち」の力が育まれていたのかもしれません。
【参考】
「セルフヘルプグループ」(岡知史・星和書店)
「セルフヘルプ・グループの理論と実際」(A.ガートナー/ F.リースマン・川島書店)