《マインドフルネスとは》
最近、マインドフルネスという言葉をよく聞きます。欧米の臨床心理・精神医療の分野で盛んに取り上げられ、心理療法の新しいトレンドになっています。また、最近では臨床心理の分野だけでなく、心身の健康や良好な人間関係、創造力や集中力を増す効果があるとして注目を集めています。
仏教の瞑想法が起源
マインドフルネスの意味は、「今この瞬間の体験に常に気づきを向け、その現実をありのままに感じ受け入れ、それに対する思考や感情にはとらわれないでいる心の持ち方や存在のあり方」のことを言います。
現存する最古の仏教の宗派である上座部仏教(テーラワーダ仏教)のヴィパッサナー瞑想(ものごとをあるがままに観察する洞察瞑想法)の影響を受け、1960年代以降のアメリカで広まったものです。
そして、その後アメリカの分子生物学者ジョン・カバット・ジンが「マインドフルネスストレス低減法」という著書で臨床的な技法として体系化し広く知られるようになりました。
マインドフルネスの実践方法
実践方法は仏教の瞑想をベースにしていますが、宗教的な色合いはありません。自然な呼吸とともに、その呼吸、体の感覚、頭に浮かぶ考えや感情などに意識を向けそのまま観察するというのが基本です。
私たちはふだんさまざまな出来事に対して、ほぼ無意識のうちに、良い・悪い、好き・嫌いといった解釈や評価、感情で認識しがちです。その解釈・評価・感情のほとんどが個人的なバイアスがかかっています。つまり、主観的解釈によってそれを事実と思い込んでいるのです。
その結果ものごとをありのままに観ることが出来ず、不安や偏見などの感情にかられて誤解や苦しみを生む原因になっています。
判断を加えない・この瞬間に意識を向ける
そのため、瞑想にあたっては次の2つのことをことに留意します。それは今起こっていることに対して、「判断を加えない」こと、そして「今この瞬間に意識を向ける」ということです。
「判断を加えない」とは、自分の今の状態がどのようなものであっても、評価や判断を一切しないでありのままに受け入れるということです。
また、「今この瞬間に意識を向ける」とは、過去や未来にとらわれないで今ここで体験していることすべてにありのままの意識を向けるということです。そのことによって、今までの枠組みから離れた自由な「気づき」が得られるということです。
ありのままに観る
古人の言葉に “夢のうちの有無は有無ともに無なり。迷いのうちの是非は是非ともに非なり” というのがあります。
この意味は、夢の中でいくら努力しても無駄であるように、自分に執着し物ごとにとらわれている時(迷いのうち)の判断はいくら一生懸命考えたとしてもそれは間違った判断になる、という意味です。
この言葉は次のように続きます。”しかれば、得失是非、一時に放下して、物我一如、自他平等の大道を達すべきをや”。
つまり、その執着やとらわれを一度解き放ってありのままに物ごとを見れば正しい道が開ける、という意味です。マインドフルネスの意味はここにあります。
深い洞察を得る
別の表現をすれば、思考や感情は現実や自分「そのもの」ではなく、心の中に生じた一過性の「出来事」に過ぎません。しかし、私たちは無意識のうちにそれを「事実」として認識してしまいそのことにとらわれています。つまり、ものやものごとをありのままに観ることが出来なくなっているのです。
そのために、マインドフルネスは瞑想という非日常の空間を使って、わたしたちをとらわれの世界から引き離し、自らの身体とこころをそのままそこに投げ出すことによって、ふだんは解釈・評価・感情で曇っている感性が研ぎ澄まされ、これまで得ることが出来なかった深い洞察を手に入れることが出来ると言っているのです。
《マインドフルネスと認知行動療法》
近年、このマインドフルネスを認知行動療法に取り入れようという動きが活発になっています。
これまでの認知行動療法は思考(認知)を対象化しそれを操作(認知修正)しようとするものでした。
しかし、うつ病がなかなか改善しない人や再発する人などに対しては限界も指摘されてきました。そこで、マインドフルネスを導入する動きが加速することになったわけです。
いま、認知行動療法の新しい流れである第三世代の認知行動療法(マインドフルネス認知療法・弁証法的認知行動療法・アクセプタンス&コミットメントセラピーACTなど)では、いずれもマインドフルネスを重視しています。
《マインドフルネスと森田療法》
先にも言いましたように、マインドフルネスは仏教という東洋の叡智から生まれたものですから、私たち日本人にはなじみのあるものです。
このマインドフルネスの考え方は森田療法でもすでに100年以上も前から取り入れられていました。森田療法の中心的な考え方である「あるがまま」がそれです。
森田では不安という感情をあえて取り上げることをしないでそのままにしておく心の態度を養います。それはまさに「今この瞬間の体験に気づきそれをありのままに受け入れる心の持ち方」であるマインドフルネスそのものです。
この現代のマインドフルネスと森田療法のマインドフルネス(あるがまま)については改めて考えてみたいと思いますので、ここではこれまでにしておきます。
ただ、マインドフルネスが話題になることによって、仏教や森田療法に関心が高まることはとてもいいことだと思います。私は現代の心理学や精神療法がエビデンス(科学的根拠)を重視するあまり、人間をトータルにとらえる視点が希薄化していることをとても不満に感じています。欧米の人たちがマインドフルネスに興味を持ったのもその点を敏感に感じ取ったのではないでしょうか。
精神療法と宗教の出会い
森田療法研究所所長の北西憲二氏も東京大学の講演の中で、マインドフルネスが現代人に受け入れられた意味について「宗教と精神療法、精神医学、心理学がもう一度きちんと出会い、向かい合っていく」契機になるのではと新たな展開の期待を述べています。
精神療法も宗教も共に人間の苦悩をどう救うか、人間らしい生き方は何かを求めていくことがテーマです。これまでは相容れない関係にあったかに思える両者ですが、これからは共に向かい合い、補いあえる関係になれたらと思わざるを得ません。
【参考】東京大学講演記録「マインドフルネス、あるがまま、そして森田療法」(北西憲二:2015)