《つまづき》
私は思春期、学校の授業で本を読むようあてられた時、なぜか途中で声が出なくなり読めなくなってしまいました。ただでさえ自分に関心が向く難しい時期、そのことがきっかけでとらわれに陥り、それ以来人前で話したりすることが苦手になりました。それまではクラス委員長などをしていて、人前で話すことは普通にやれていたにもかかわらずです。そして、その後長い間不安障害(対人恐怖)で苦しむことになりました。
どうすれば不安や恐怖から抜け出せるのだろう。どうすればとらわれない自由なこころを手にいれることができるのだろう。その頃はそんな思いでいっぱいでした。しかし、出口はいっこうにみつかりません。その経験は私をこころの問題に向かわせるきっかけになりました。
一体なぜそんなことになったのか、その心のからくりは何だったのかを知りたいと思ったからです。
《こころと向き合う》
私が森田療法と出会ったのは、不安障害で悩みはじめてから随分後のことです。
それまでは、こんなことで悩むのは精神的に弱いのでは思い、こころを強くしようとヨガや内観法、話し方教室、武道、思想や宗教の本などさまざまに試みました。また、大学時代には一人でヨーロッパとアジアをヒッチハイク旅行をしたりしました。もちろん未知への好奇心も大きな要素でしたが、その裏には、何とか強くなりたい、今の自分から脱出したい、という切実な思いがあったことも確かです。
当時は精神科やカウンセリングにかかることには抵抗感がきわめて強く、多くの人はこうした精神修養的なプロセスを辿ったのです。それらは全く意味がなかったわけではありませんが、どれも効果はありませんでした。
「迷いの内の是非は、是非ともに非なり」。自分に執着し物ごとにとらわれている渦中の時(迷いのうち)の判断はいくら一生懸命考えたとしてもそれは間違った判断になる、という典型でした。
《森田療法との出会い》
そんな曲折を経て出会ったのが森田療法でした。ある時、本屋でたまたま手に取った中に森田療法の本がありました。その内容を一読し、「自分が求めていたものはこれだ!」と感じたのです。
そこには、不安障害に陥るこころのからくりがきわめて的確に書かれており、自分がいかに観念的で現実を無視した生き方・考え方をしていたかを思い知ったのです。
不自然で無理な生き方に気づく
「人はこうあるべきだ」(理想と現実は違う)、「苦しいのは自分だけ」(実際は自分だけではない)、「人間は強くなくてはいけない」(実際は弱いものである)。こうした現実をきちんと直視しないで、「こうでなければいけない」と観念の世界を追い求めていました。
つまり、自分はいかに不自然で無理な生き方をこれまでしてきたか、ということに初めて気づかされたのです。
森田療法は、人間の永遠のテーマともいえる “こころ” を考える上で多くの気づきを与えてくれる人生の羅針盤のような存在に思えました。
私にもできること
そして、私は森田療法を学ぶとともに、人間のこころの奥深さにひかれ、仕事のかたわら大学院に社会人入学し臨床心理学を学ぶようになりました。
そして、そうこうするうち、これらの経験を通してこんな自分でも、同じような悩みを持つ人たち、生きづらさを抱えている人たちに、当事者として何かお伝えできることがあるのではないかと思うようになりました。このブログはこうしたいきさつから生まれました。
《当事者研究》
最近、当事者研究というものが注目されています。
当事者研究とは、北海道浦河町の精神障害者施設「べてるの家」で始まったもので、これまで医者やカウンセラーの治療の対象となる患者・クライエントでしかなかった人(当事者)が、「自分の苦しさは自分が一番分かる」「悩みの主役は私だ」「自分たちのことは自分たちで研究する」とする取り組みです。
どんな状況でも生きる意味を見出すことが出来る
悩める当事者みずからが抱える生きづらさ・感覚・感情・人間関係・ジレンマ・葛藤・思いなどを、単なる悩みとしてではなく、よりよく生きていくための研究テーマとしてとらえ、それを前向きな生き方に創造していこうというものです。
そこから見えてくるのは、どんな状況にあっても、生きる意味を見出すことができるということです。こうした活動は、私たちに大きな勇気を与えてくれるものではないでしょうか。
このブログも、あくまでもそれを体験した当事者として、悩める人に寄り添った情報を発信していきたいと思っています。