《生きる意味》
“生まれて来てよかったと、ああ、いのちを、人間を、世の中を、よろこんでみとうございます。僕は自分がなぜ生きていなければならないのか、それが全然わからないのです” (太宰治「斜陽」)
人はしばしば「自分はなぜ生まれてきたのか」「何のために生きているのか」と考え、悩むことがあります。もともと私たちはあらかじめ理由があって生まれてきたわけではありません。しかし、ただ生きていればそれだけで良いのかというとそうではありません。人間とはどうしても「生きる意味」を求めてしまう生きものでもあります。
《フランクルの「生きる意味」》
ナチスの強制収容所において言語を絶する過酷な状況を生き抜いた精神科医V.フランクルは「生きる意味」を問い続けました。その主著である「夜と霧」は世界的なベストセラーとなり、アメリカでは「私の人生に最も影響を与えた本」のうち、精神医学としては唯一ベスト10入りをしています。
何のために生きるか
私たちは「何のために生きているか」と問われれば、自分が本当にしたいこと、例えば夢や希望・目標などを達成することと答えるでしょう。いわゆる自己実現のためです。
しかしフランクルは、自己実現は自分が求めるものではなく、自然に生まれてくるものであり、それが目的化した時自己実現は逃げていくと言います。
人生から意味を問われている
ですからフランクルは、そうした人生の意味(自己実現)を追い求める必要などないと言います。「人は人生の意味は何かと問う前に、むしろ私たちは人生から意味を問われている」のだと。
あなたにも出来ることがある
「人生から意味を問われている」とはどういうことでしょうか。
フランクルは「この世のどこかにあなたのことを本当に必要としている “何か” があり、“誰か” が必ずいる。その “何か” や “誰か” のためにあなたにも出来ることがある」というのです。
つまり、自分は役に立っている、貢献していると感じられることで、人は自分に価値があると思えるのです。
“何か” や “誰か” のためにあなたにも出来ることがある。これは、人の生きる意欲をかき立ててくれます。自分が求められていることに気づき、それに応えていくことが「生きる意味」であるということになります。
意味によって人は癒される
フランクルは “どんな状況にあっても人生には意味がある” と言います。また、“苦しみは真実への案内役だ” とも言っています。自分の人生がもし厳しい試練に遭ったとしても(例えばガンになってしまったなど)、そのことによって人は自分の試練の「意味」を見出そうとします。
例えば、“病気によって、自分の間違った生き方に気づかされた” 或いは ”自分のことをこんなに心配してくれる人がいる。私はこの人に何をしてあげられるのだろう” など人によっていろいろでしょう。いずれも病気にならなければ気づけなかったことかもしれません。
その見出された「意味」によって人は癒されます。このつらい試練にも意味があったのだと。癒しの力はその「意味」にこそあるとフランクルは言っているのです。