《心ここにあらず》
若いころ、私は人に「白昼夢を見ているみたい」といわれたことがあります。
その時は何を言っているのかよく分かりませんでしたが、多分、対人恐怖の悩みが頭を去らず、日常のことをとりあえずやれてはいても、「心ここにあらず」の状態で日々を過ごしていた私の様子をこう感じたのかも知れません。
この「心ここにあらず」という言葉は、もともとは儒教の経典の一つに納められている言葉で、「心ここにあらざれば、視れども見えず、聴けども聞こえず、食らえどもその味を知らず」からきています。
これは、自分の注意・関心が目の前のことに向かず、その心のすき間に、それとは関係のない思考や感情がつぎつぎと頭の中を占領してしまう状態を指しています。
悩みの渦中にあった私もまさにその状態で、日々生きてはいるのですが、その実感に乏しく、ネガティブな思いだけが私の頭の中をぐるぐる駆け巡る毎日でした。
マインドワンダリング
以前、「さ迷えるこころ~マインドワンダリング~」で、何かを「思い出そう」とか「考えよう」としていないにもかかわらず、目の前のこととは全く関係のない考えや記憶が頭に浮かんでくる心の状態、マインドワンダリングについてお話しました。
このマインドワンダリングがまさにこの「心ここにあらず」です。
マインドワンダリングが生じる時
私たちは1日の多くの時間をこのマインドワンダリングに費やしていると言います。
気がつけばとりとめのないことを考えていた、という経験は誰でもあるのではないでしょうか。
マインドワンダリングが生じやすいのは、退屈な時、疲れている時、なれた仕事、関心が持てない活動、不安を感じている時などであり、一方で、集中力が必要な活動や幸せを感じている時は少ない傾向にあると言われています。
生命体を保持するため
そもそも、こうしたことが起きるのは、私たちの脳が注意を長い時間持続することが困難であり、効率一辺倒ではなく、時々注意が散漫になるように作られているからであるとも言われています。
ホメオタシス(生命体を保持するための機能)の一種とも考えられます。
マインドレスネス
これをマインドレスネスと呼ぶこともあります。マインドフルネスが「今、この瞬間の体験に対してとらわれのない状態で意識を向ける」ということであるのに対し、マインドレスネスはその反対で、頭に浮かんでくるさまざまなことに気をとられ、目の前のことに意識がいかず、自分でもそのことに気がついていない状態のことを言います。
「心ここにあらず」はまさにはマインドワンダリングであり、マインドレスネスと言えます。
自動的なパターンに支配
そもそも人間の思考や感情、行動の多くは無意識的で自動的なパターンに支配されています。それは脳の能力を効率的に使うためです。
ですから、初めての仕事など集中力が必要な時は脳がフル回転しますが、日常生活や馴れた仕事などでは、脳がパターンで処理しているので余裕があり、私たちは別のことを考えながらでも出来るのです。
忍び込む無関係な思考・感情
例えば、朝歯を磨く、スーツを着て出勤する、電車を乗り換えるなどの日常活動はほとんど無意識に行動していることが多く、そんな心のすき間にひそかに忍び込んでくるのが、目の前のこととは無関係な考えや思いです。
悩みのゆりかご
特に悩みを持った人にとっては、ふと生じた心のすき間は格好の空間です。それは一日のうちでもたびたび起きるので、その度にネガティブな思考や不快な感情が思い出され、さらに大きく育っていきます。言わば、悩みを育てるゆりかごといってもいいかもしれません。
「ああ、あの時こうすればよかった」「あの時Aさんが言ったことは私への嫌味ではなかったかしら」「明日の仕事は大丈夫だろうか」「こんなことがなければもっといい人生が送れたのに」などなど。
《心のすき間を減らす》
こうした次々に浮かんでくるネガティブな思考や不快な感情に翻弄されていると、当然ですがそれを取り除きたいという思いが強くなります。
「考えない」ようにしようとするほど「考えて」しまう
しかし、これまでも見てきたようにそれを抑制するのは難しいのです。
抑制しようと計らえば計らうほど、それによって不安や抑うつをますます増大させてしまいます。
それどころか、私たちはネガティブなことを「考えない」ようにしようとすればするほど「考えて」しまうという二重のパラドックスに陥ることになるのです。
心のすき間を減らす
それでは、マインドワンダリング、つまり「心ここにあらず」にならないようにするにはどうしたらいいのでしょうか。
それには、そうした頻繁に起きる心のすき間を出来るだけ減らすことが必要です。
森田療法にひとつのヒントが隠されています。それは「なりきる」という心のあり方です。それを次回で考えていきましょう。