《幸せのパラドックス》
” 僕たちの探している青い鳥だ!僕達はずいぶん遠くまで探しに行ったけど、本当はここにいたんだ!”(「青い鳥」メーテルリンク)
人は常に幸せを求めます。人生は幸せを求める旅だと言ってもいいでしょう。
しかし、古くから「幸せは追い求めれば求めるほど逃げていく」という言葉があります。いわゆる「幸せのパラドックス」です。
先回、不安障害の話に関連して、「治そう」と思うと「治らない」という話をしました。このパラドックスは「幸せ」に関しても当てはまるのです。
アウシュビッツの過酷な体験を描いた著作「夜と霧」で知られる精神科医V.フランクルは、「幸せを追い求める人は、どこまで行ってもそれを手に入れることが出来ない」という幸福の逆説性について述べています。
それは「幸せを追求していくと、人は果てしない欲望ゲームの虜となって、絶えずむなしさや満たされなさを抱え込んで “永遠の欲求不満状態” に置かれてしまう」(諸富祥彦)からです。
幸せを手に入れたい
私たちは日々さまざまな情報によって欲望を刺激されています。あれが欲しいこれが欲しい。欲望に限りはありません。その欲望を満たすことはとりもなおさず「幸せ」を手に入れることと思い込まされています。お金、マイホーム、海外旅行、恋人、家族、地位、評価などなど。
これまではささやかな幸せで満足していたけれど、世の中には、もっと幸せな人が、ものが、人生がある。そう私たちを追い立てます。そのため、それを手に入れたいと人は「幸せ」を求めてやみません。
幸せさがし
しかし、それはきりがありません。幸せを得たと思った途端、さらに新たな幸せ探しが始まります。そうなると、幸せを求めれば求めるほど、逆に今、幸せではないということになってしまいます。それが「幸せのパラドックス」です。
幸せと満足
もちろん、幸せは百人百様であり、幸せをどこに求めようと他人があれこれ言うことではありません。ただ、問題は自分の思い描く幸せを手に入れられないで不満を募らせ苦しんだり、生きている毎日が幸せを手に入れるまでの単なる通過地点に過ぎない、ということであれば、本来の幸せのあり方としては本末転倒です。
それは本当の幸せなのだろうかということです。
《幸せはどこにあるのか》
幸せの「青い鳥」
幸せは一体どこにあるのでしょうか。
メーテルリンクの「青い鳥」では、チルチル・ミチルの兄妹が、夢の中で幸せの象徴である青い鳥を探して過去や未来の旅に出ます。そして、さまざまな経験をした挙句、結局その青い鳥は自分たちの家の鳥かごの中にいたというお話です。
つまり、幸せはどこかに探し求めるものでなく、あなたのすぐ近くにあるのですよという寓話として伝えられています。
余談ですが、私たちが童話で知っている「青い鳥」の結末はふつうここまでです。
しかし、原作ではこの後、青い鳥は鳥かごから逃げて行ってしまいます。作者はこの結末によって、何を言おうとしているのでしょうか。幸せは手に入れたと思ってもすぐ失ってしまうものだと教えているのか、大切にしなさいと教えているのか。それとも別の意味があるのか。
いずれにしろ、「青い鳥」は子供向けとはいっても随所に象徴的な表現があり、なかなか一筋縄ではいかない深みがあります。
小説家の五木寛之氏はこの最後の場面について、『青い鳥のゆくえ』という著書の中でいろいろ考察を加えています。
また、これも余談ですが、この「青い鳥」には同じ作者による後日談ともいうべき続編があります。1918年に発表された「チルチルの青春」(原題「いいなずけ」)です。
青い鳥をさがす旅から7年後、16歳のチルチルが結婚相手を探す旅のお話です。「青い鳥」の後日談ということもあって、これもとても興味深い話ですので関心のある方は読んでみて下さい。
《一般的な幸せと個別的な幸せ》
結果としての幸せ
話が変な方向にそれてしまいましたが、最初に戻ると、V.フランクルがいう幸せは一生懸命生きることの結果として手にするものであり、求めるべきゴールではないということです。
幸せは百人百様
ところで、私たちが幸せという時、何となく一般的な幸せというものを思い描きますが、本当のところ、一般的な幸せというものはありません。幸せのあり方は人それぞれできわめて個性的、百人百様です。
ある人にとっての幸せは他の人にとっては幸せとは感じないかもしれません。
病気で臥せっている人でも、思いやりのある家族に囲まれて幸せと思う人もいるでしょう。名もない職人であっても、自分の腕に誇りをもって幸せを感じている人もいるかもしれません。
しかし、冒頭の「幸せのパラドックス」で言う幸せは「絶えずむなしさや満たされなさを抱え込んで “永遠の欲求不満状態” に置かれてしまう」と言います。
実はその幸せは本当の幸せではないのではないか。それは物質的な満足であったり、名誉であったり、評価であったり、つまり一般的に言われる「成功」、あるいは競争に勝つことを言っているのではないでしょうか。
「成功」という幸せは他人との軋轢や嫉妬の対象となりますが、人それぞれの幸せはそうした対象とはなりません。個別の価値観によるものなので誰とも争うものでも嫉妬の対象となるものではないのです。
パラドックスではない本当の幸せ
ですから、本当の幸せを追求している人にとっては、幸せはパラドックスでも何でもないのです。
世間の価値観に流されない自分の幸せを追求することこそ、本当の幸せに至る道だということです。
【参考】
V.フランクル『夜と霧』
V.フランクル『「生きる意味」を求めて』
諸富祥彦『夜と霧 ビクトール・フランクルの言葉』
五木寛之『青い鳥のゆくえ』