森田療法の “治る”
治そうと思うと治らない
“治そう” と思うと “治らない”、“治そう” と思わなければ ”治る”。
このパラドックス(逆説)ともいうべき言葉を森田療法ではよく耳にします。
その説の根拠は森田療法の考え方から来ています。森田療法では、不安障害(神経症)の要因を「とらわれ」によるものとみています。
とらわれとは「いつも心配なく安心でいたい」、「人前では恥ずかしくない振る舞いをしていなくてはいけない」など「こうあるべきだ」「こうあってはならない」など、現実を無視したさまざまな観念的な考え方であり、それが不安を生み出しているとしています。
ですから、症状を“治そう” と思うと、それに「とらわれ」てしまい、逆にその症状をさらに増大させてしまうということです。逆に、「とらわれ」を取り去れば ”治る” というパラドックスが成り立ってしまうのです。
“治る” の本当の意味
私は不安障害に悩む人たちの自助グループに参加しています。ここでは、互いに悩みを打ち明け合うとともに、森田療法の考え方を学んでいます。
しかし、不思議なことにグループの参加者から “治った” という言葉をあまり耳にしたことがありません。それでは、“治っていない”のかというと、決してそうではありません。それは、参加者の多くがそれまでの自分と比較して大きな変化があったことを報告していることからも分かります。
その回復を報告する際、多くの人たちが“治った”ではなく、「あまり気にならなくなった」「自分の中で以前ほど大きな問題ではなくなった」という言葉でその変化を表現しているのです。
“治る” と言うとふつうは、気になっていた症状が消えた、悩みがなくなったという状態をイメージしがちですが、どうも実際はそうではないようです。そこに私は興味を持ちました。なぜこんなことを言い出したのかというと、こうした表現の中に、森田の “治る” という本当の意味が隠されていると思うからです。
森田正馬の「治る」
それでは、森田療法の創始者・森田正馬は “治る” ということをどう言っているのでしょうか。
『治るということは、不安がなくなることではない。あるいは、対人関係で何の恥ずかしい思いもしなくなることではない。不安に対する考え方が変わることです。誰にでもあることだから、なくそうとしてもなくならないし、なくす必要もないものだと考えるようになることです』
『神経質(不安障害)は病気ではない。ある感覚に執着してこれを病気と信じ迷妄する病気であるから、その執着を取り去りさえすればよいのです』。
これらの言葉に “治る” という意味が集約されています。つまり “治る” とは、不安や症状がなくなるという現象的な変化ばかりを見るのではなく、不安に対する考え方が変わる、「とらわれ」がなくなる、という「認識の根本的な変化」こそが重要であるということです。
もし、症状がなくなって “治った” と思っても、「とらわれ」を引き起こす考え方が従来のままであったとすれば、症状が再び生じる可能性があります。だから、現象的な変化ばかりを追い求めてはいけないということです。
負の感情も “無くそうとしない”
これは何も不安障害に限ったことではありません。
例えば、不安、悲しみ、怒り、嫌悪、妬みなど「負の感情」でも同じことが言えます。この感情を “無くそう” と思うと “無くならない” のです。むしろ、さらに増大してしまうことも少なくありません。
以前、「感情はコントロールできるか?」の記事の中で、森田の「感情の法則」を取り上げました。その中で、「感情はその刺激が継続して起こる時と、注意を集中する時に強くなる」という説を紹介しました。
つまり、感情を抑え込んだり、コントロールしようとすると逆に増大してしまうということです。これも「とらわれ」が原因によるものです。
人間としての成長
森田では、「治る」ことの本当の意味は「人間としての成長」だとしています。
人間としての成長とは、人間やものごとに対する誤った認識が正され、その「事実」が理解できるようになることです。例えば、
①苦しいのは自分だけではない
②弱さになり切れば強くなる
③人生には意味がある
④人のためは自分のためである
⑤苦楽あるのが人生
⑥世の中にはできないことがある
⑦幸せはいまここにある
⑧自己中心性が苦悩を生む
他にもいろいろあるでしょう。これまで私たちがさまざまな経験の中から間違って作り上げてきた人間やものごとに対する認識をきちんと見つめなおすということです。
「治る」ということの本当の意味は、ただ単に症状がなくなったということではなく、こうした人生の事実を理解できるようになることで人間として成長するということです。逆に言えば、苦しんだ人ほど深く人間を学ぶことが出来、成長できるということです。宗教的に言えば自覚ということです。
人生の真の目的は症状を “治す” ことではない。“よりよく生きる” ことである、という森田の言葉にはその意味が込められているのです。