こころのクセはなぜ生じるか
成人病の原因と言われる生活習慣のクセ。それは身体だけでなく私たちの心にも起きています。「こころの生活習慣病」とも言うべき「考え方や受け取り方のクセ」です。
それでは、「考え方のクセ」はどうして生じてしまうのでしょうか。認知行動療法の考え方を紹介しましょう。
認知行動療法の考え方
こころのつぶやき
私たちの頭に浮かぶ考えやイメージのことを認知と呼びます。
そして、何かことが起きた時に条件反射的に脳裏に浮かぶ考えやイメージを、認知行動療法では「自動思考」と呼びます。
例えば、向こうで友人たちが話をしているのを見かけた時、「自分の悪口を言っているんじゃないか」と気になったり、通勤電車の中で「心臓が苦しくなって倒れたらどうしよう」と恐くなったり、子供の帰りがちょっとでも遅くなると「事故にでも遭ったのでは」と不安になったりします。
このように瞬時に頭に浮かんできてしまう考えやイメージを「自動思考」と言います。
いわば「こころのつぶやき」のようなものです。
考え方の枠組み「スキーマ」
そのこころのつぶやき「自動思考」はその人の「スキーマ」から生まれてきます。
スキーマというのは考え方の「枠組み」ということです。
例えば「親はこうあるべき」「他人は信用してはいけない」などがそれにあたります。
これまでの人生で蓄積してきた体験や知識などが絡み合って形成された、その人の生き方や価値観・信念のようなものです。
一面的な見方につながる
しかし、それはその人が育った環境や生まれ持った気質に大きく影響されているため、誤解や偏見、一面的見方につながる恐れがあります。
例えば、根拠のない決めつけ(自分は何もできないダメな人間だ)、白黒思考(失敗したら全く意味がない)、過大評価・過小評価(あの人に比べては自分は全然だめ)、かくあるべし思考(人前では堂々としていなければいけない)、自己正当化(自分が評価されないのは世間の見る目がないから)、極端な一般化(あの人の言うことはいつも間違っている)、情緒的な理由づけ(だから気が進まないって言ったんだ)など、さまざまな考え方の偏り(クセ)があります。
「事実」のまちがった認識
こうしたマイナスのスキーマが生ずるのは、そもそも事実に対しての間違った認識があるからです。
例えば「自分は何もできないダメな人間だ」というのは事実ではありません。誰でも出来ることもあれば出来ないこともあります。
それが事実です。また、「失敗したら意味がない」というのも事実ではありません。失敗から学ぶことはいっぱいあります。
どう受け取るかによって考え方に大きな違いが
事実唯真
森田療法では「事実唯真」という言葉がよく出てきます。「事実」のみが「真実」であるということです。
そんなことは当たり前だろうと思うかもしれませんが、実は私たちは「起きた出来ごと」(事実)をそのまま客観的に認識できないことが極めて多いのです。
しかし、私たちはそれをなかなか意識できません。その理由は、私たちは自分がこれまで作り上げてきた価値観や信念・感情などを通してものごとを認識しがちだからです。いわば、フィルターを通してものごとを観ているからです。認知行動療法でいう「スキーマ」です。
ですから、同じ出来ごとでも受け取り方・感じ方で全然違ってくるのです。
一面的な受け取り方が「こころの生活習慣病」を作る
例えば、母子関係において、子どものころ「私は母親に抱っこされたことがなかった」という出来ごと(事実)があったとしましょう。
それを「私は母親から嫌われていたんだ」と受け取れば(解釈すれば)、アダルトチルドレンとして苦しむことになります。
しかし、それを「母は夫婦関係で苦しんでいて余裕がなかったんだ」と受け取ることが出来れば、母親や自分を少し客観的に見ることが出来ます。事実はどうであっても、その人がどう受け取るかで、考え方に大きな違いが出てしまうのです。
こうしたことが日常のあらゆる出来事に働き「こころの生活習慣病」を作り上げています。
「こころの習慣」に気づく
もちろん、事実(真実)が何かを突き止めるのは簡単ではありません。しかし、自分の考え方・受け取り方に誤解や偏見、一面的な見方がないかを常に意識しているかどうかで、事実に近づけるかどうかは大きく違ってきます。それが「こころの生活習慣病」、つまり、心の不調(悩み・苦しみ・生きづらさなど)から回復する道であり、また事実(真実)へ近づく道でもあるのです。
こころの体重計
そのためにも、自分の「こころの体重計」(日記・思考記録表など)で「見える化」し、それを記録・観察し続けることがとても大切になるのです。