《認められたい》
条件付きの「承認」
“自分を認めて欲しい” “周囲から評価されたい” という「承認欲求」は健全に働いている限りは、私たちが向上発展するための大きな原動力になりますが、この欲求が満たされなかったり大きすぎたりした場合には様々な問題が生じてきます。
先回はアダルトチルドレンの例をあげましたが、「承認欲求」はふつうの健康的な家庭で育った子どもにも当然見られます。
本来、親が子どもを受け入れるということは、ありのまま、その存在自体を無条件に受け入れることであるはずです。「生きていてくれるだけでいい」。それを「受容」とも言います。
愛着理論を提唱したボウルビィの言葉を待つまでもなく、生まれてきた子どもに母親は無条件の愛情を注ぎます。その中で幼児は安らぎと安心を得、健やかな心が育っていきます。
しかし、成長につれてそこに「条件」が付くようになります。「条件」とは親が子どもにこうあって欲しいという願望です。人並みの成績は取って欲しい、人並みの学校に行って欲しいなどさまざまです。
もちろん、条件をクリアしなければ「認めない」というわけではないでしょうが、子供は全面的に認められたいと親の意向を忖度します。「承認」が問題になるのはそんな子どもです。
親の願望には子どもが幸せになって欲しいという切なる願いがあるのは確かであり、それを一概に否定できるものではありません。しかし、結果的にそれは子どもに親の価値観を強いることになります。
その結果、子どもは親が「こうしろ、ああしろ」と直接要求しないでも親の意向をくみ取り無意識のうちに親の期待に応えようと行動します。つまり、親の日ごろの言動から親の「承認の基準」を敏感に察知しているのです。
子どもの関心事に共感を寄せる
それでは、親はどうやって子供と接したらいいのでしょうか。
心理学者のA.アドラーは、教育で大事なことは子どもに対して「特別でなくても価値がある」ということを教えることであると言います。
アドラーはS.フロイト、C.G.ユングと並んで現代心理療法を確立した一人です。その考え方をやさしく解説した「嫌われる勇気」という本がベストセラーになったので読んだ方も多いかも知れません。
アドラーは、親は「親の認めるいいこと」をした時にほめるのではなく、もっと子どもの日頃の些細な言動に目を向けること、その子どもの「関心があること」に注目し、共感を寄せていくことが大事であると言っています。
それによって、子どもたちははじめて一人の人間として「尊敬」され、認められていると感じることが出来るのだと言っています。
私の場合
私の場合を考えてみます。子ども時代の私は元気ではあったものの、引っ込み思案で恥ずかしがりや、相撲が強く走ることが得意だった以外、取り立てて才能に恵まれたわけでもない、どこにでもいるふつうの子どもでした。
私の上には3歳上の姉がいて私とは違い社交的な性格でした。友達もたくさんいました。そのため、母から「お姉ちゃんのような性格は得をするね」と言われ、無意識のうちに社交的な性格でないとダメなんだ、このままではダメなんだという意識を植え付けられました。
もちろん母親はそれを「承認」の条件としたわけでは全くなかったと思いますが、親が良しとする価値観(これは世間の価値観でもあったと思います)を子どもながらにしっかりと意識づけられました。
姉になれない私はひそかに劣等感を育み、また「こうでなければいけない」という観念的な理想主義を育てていきました。そして、それが思春期になって不安障害という ”つまづき” のひとつの原因になっていったように思います。
今になって思えば、そのままの自分を受け容れられなかったのが苦しみの始まりだったのだと分かります。