《承認を求め続ける》
私たちにとって承認欲求の最初の経験は母親(あるいは養育者)に対してでした。その後もそれは止むことがありません。
誰からも認めてもらいたい
私たちは大人になっても「承認」を求め続けます。「承認」を求める対象は親だけにとどまらず、友人、恋人、配偶者、会社の同僚、上司、世間などに拡大していきます。人によっては「誰からも認めてもらいたい」という際限のない欲望を持つようになります。
これが生きる励みになっている場合は良いのですが、周りの人の「承認」に頼りすぎると、常に他人に振り回され自分を見失ってしまいます。
「周りの人が求める自分」であろうとして苦しんだり、「承認」が得られなくて苦しんだり。生きづらさを抱えた人たちにはこうした「承認」を過剰に求める傾向が見られます。
私の場合
私が不安障害(対人恐怖)に陥った原因のひとつもこの「承認」を求めてやまない欲望の強さにありました。
「人に評価されたい」「人に良く思われたい」という強い「承認欲求」が、逆に「失敗したらどうしよう」「人にダメな奴と思われたらどうしよう」という不安を生み、それが対人の場で緊張を誘発し対人恐怖を引き起こしたのです。
私の場合に限らず、強すぎる、あるいは偏った「承認欲求」によってもたらされる影響は人によってさまざまな形で表われます。
学校や職場になじめない、人間関係がうまくいかない、社会に出るのが怖い、生きづらいなど、人間関係にまつわる悩みにこの「承認欲求」が強く影響を与えていることは、私の経験だけでなく、多くの人が指摘していることでも明らかです。
承認欲求をバーチャルな世界で満たす
最近、この「承認」の欲求を現実社会の中でではなく、ソーシャルメディアというバーチャルな世界で満たそうとしている動きが問題として取り上げられています。特に若い世代に顕著です。
私たちが暮らしている現実の社会では自分が承認されているということを実感することは簡単ではありません。また、また自分が思うような「承認」はなかなか得られません。「承認」を得るにはさまざまな人間関係を粘り強く維持することによってはじめて得ることが出来るものだからです。
そのため、もっと簡単に「承認」を手に入れることが出来るソーシャルメディアの世界にそれを求めるのです。そこでは、リツィートや “いいね”、ハートマークなどの数で「承認」を確認でき、自分は認められていると感じることが出来ます。つまり、現実社会での承認欲求の満たされなさをソーシャルメディアの世界は満たしてくれるのです。
こうしたソーシャルメディアの隆盛は「承認欲求」がいかに私たちにとって根強いものであるかを改めて感じさせるものです。