《不安という感情》
先回は、「感情」がこころのさまざまな要素と結びつき、多大な影響を及ぼしていることをお話しました。(「こころを支配しているのは感情」参照)
その感情のうち、最も頻繁に感じ、こころを悩ませるのが不安や恐怖という感情です。明日は仕事で苦手な人と会わなければいけない、いろいろなことが気なって仕方がない、など日々の生活の中でさまざまな不安が頭をよぎります。
感情が治療の対象
その不安・恐怖という人間の感情を心理療法の中心に据えているのが森田療法です。森田療法は今からおよそ100年前、わが国の精神科医森田正馬によって創始された不安障害(神経症)に対する独自の精神療法です。
人が幸せに暮らすには感情の健康がきわめて大切なものと考え、感情を正しく理解し、それとあるがままにつき合うことを説いています。
不安障害とは
森田療法が治療の対象としているのは、主に不安や恐怖などの感情が引き起こす不安障害(神経症)です。
不安・恐怖という感情は誰でも経験することで特に異常なことではありません。しかし、たまたまその感情に強く「とらわれ」てしまったため日常生活に支障をきたしているのが不安障害の人たちです。
日常生活の様々なことに不安を覚える、対人関係が苦手である、心臓が突然止まったりしないかとパニックになる、何度も手を洗わないと気が済まない、病気ではないかと気になる、など悩みの症状は人によってさまざまです。私の場合は大勢の人の前で話をするのが苦手な対人恐怖でした。
こころの機能障害
こころの障害で一番多いのがこの不安障害で、日本人の生涯有病率は10%といわれています。不安障害は器質的な病気ではなく、健康な人がふだんから体験するような心や身体に対する感覚や感情を、過剰に感じてしまう結果起きる機能障害といわれています。
《森田の基本的思想》
不安の正体
森田療法では、不安障害の根底にある心理は「死の恐怖や不安」(死にたくない)だということを前提としています。人間は誰もが必ず死に直面します。ですから、死を恐怖する感情は人間にとって当たり前の心理です。
同時に死の恐怖の裏には、より良く生きようとする「生の欲望」があります。これも人間誰もが持つ当たり前の心理です。つまり、その二つは表裏一体のものだと森田療法では理解します。
人間の自然な心を肯定
その上で、私たちは “死を恐れないことはできない” し、かと言って“欲望をあきらめることもできない” ことを森田は自分の体験から悟ったのです。
つまり、“死を怖い” と思うのも、“よりよく生きたい” と思うのも人間の自然な心であり、私たちはそれを認めざるを得ないということです。
この人間の自然な心を肯定していくのが、何といっても森田療法の考え方の魅力です。
こころの自然療法
森田の人間観の根本はひと言でいえば「自然な生き方」です。
「もともと私たちの身体と精神の活動は自然の現象である。人為によってこれを左右することはできない」という森田の考え方にその基本があります。それは、人間を自然と対峙させず、人間も自然の一部としてとらえる東洋思想に由来するものです。
森田はその不安障害の根底にある不安や恐怖というものは、誰もが持つ自然な感情であり「内なる自然」であるとして、「あるがまま」に受け容れるこころの姿勢を説きました。
いわば「こころの自然療法」と言ってもいいでしょう。
《どんな人が不安障害になりやすいか》
不安というのは誰もが感じる感情のひとつです。それにもかかわらずなぜ不安障害になる人とならない人がいるのでしょう。
共通の性格傾向
森田療法では、不安から発生したさまざまな症状の背後に、ある共通の性格傾向が認められるとし、それを神経質性格と呼びました。
共通の性格傾向とは、自己内省的でまじめ・責任感が強い・観念的・執着性が強い・心配性・完全主義などです。そして、さらに負けず嫌い・向上心が強いというのも共通しています。つまり、弱気と強気の両面を併せ持った性格です。それだけに、弱気な自分を強気な自分が許せず、こころの葛藤を招きやすいのです。
もちろん、性格というのはプラスマイナスの両面があります。ですから、こうした性格を持っている人が必ず「不安障害」になるとは言えません。しかし、さまざまなことに「とらわれ」やすい性格であるため、こころの悪循環を起こしやすいのです。
《とらわれのメカニズム》
森田は、「不安障害」が発症するのは、この神経質性格を基盤にして「とらわれ」という特有の心理的メカニズムが働くためと考えました。
人間に対する間違った認識から生じる
とらわれとは「いつも心配なく安心でいたい」「自分はこうあるべきだ」「こうあってはならない」など、現実を無視したさまざまな観念的な考え方から生ずるものであり、それが不安を生み出しているのです。つまり、人間に対する間違った認識をもとに自分の信念を作り上げているのです。つまり、不自然な生き方ということになります。
あるがままの生き方
森田はそのとらわれに気づき、それを自然なものに変えていくことを治療の根本に据えています。そして、その「とらわれ」から脱するためのこころのあり方を「あるがまま」という言葉で表したのです。
《私と森田》
私のとらわれ
私の場合は、長い間、人間というものを頭で、つまり観念で作り上げていたように思います。例えば、「どんな時にも落ち着いて冷静でなければいけない」「人前では弱音をはいてはいけない」「不言実行」「男らしく」などです。これらが人間のあるべき姿であり、自分もこうでなくてはいけないと思い込んでいたのです。その反対に、恥ずかしい、情けない、弱いことは許せませんでした。しかし、人間は立派なところばかりではありません。むしろ、弱く小さな存在です。今にして思えば滑稽ですが、当時はそんな思いに「とらわれ」ており、それが長い間自分を苦しめていたのです。
当時の私は、現実をきちんと見ることをしないまま観念的な理想主義を追い求めていました。。現実は自分の思い通りになりませんが、観念の世界は自分の思うように創り上げることができるからです。いわば観念の世界にひきこもっていたのです。
しかし、それは足が地に着いた考えではないので本当の自信にはなりません。それゆえ人の評価が気になります。しかし、負けず嫌いなのでそれを絶対に人に言えません。それがまた自分を苦しくさせていたことにはまったく気がつきませんでした。
森田との出会い
いずれにしろ、そんな時出会った森田療法の考えは、「あるがまま」「事実唯真」などシンプルな言葉の奥に深い人間の真実が説かれていて、自分のこころのつまづきがどうして起きたのかはじめて得心できたのです。