ぼくはまだ胎内にいて 羊水という海に浮かんでいた
羊水は太古の海だ
数十億年も前 海からいのちが生まれた
海はすべてのいのちの源泉だ
ぼくは これから長い旅に出る
地球上に生命が誕生してから人類が出現するまでの
気の遠くなるような進化をたどる旅だ
ぼくは魚になり 両生類になり 爬虫類になり 鳥になる
そして やがて哺乳類へと姿を変えていきながら
この世に誕生する時を待っている
ぼくはこのいのちの海の中で
ゆったりとまどろんでいる
母親の鼓動を聞きながら
その間に 細胞は次々と分裂し
生きものとしての進化を辿っているようだ
やがて ぼくというヒトができあがっていく
だれかの呼ぶ声が聞こえたような気がした
時は満ちたのだろうか
ぼくは新しい世界へ旅立つ準備をした
そして 狭い暗闇の中を回転しながらゆっくりと降りてゆく
やがて 前方に光が差し そしてまばゆい光の空間に出た
ぼくはいまこの見知らぬ世界に生まれてきた
周りの人たちの笑顔が見える
ぼくは祝福されている
すべて受け入れられている
今ここに存在している奇跡
何も心配することはない
パーフェクトだ
・・・・
気がつけば ぼくはもう小学生なっていて
野原を駆け回っている
四肢がのびやかに動く どこにも滞りがない
のびのびと眉が開いている 風のにおいがする
遠くから子どもたちの歌声が流れてくる
なぜかなつかしい響きだ
どこから聞こえてくるのだろう
歌声がぼくを誘っている こちらにおいでよと
ぼくは歌声に向かって走った
歓喜が突き上げる
ぼくは祝福されている
誰からも受け容れられている
ここにいることが許されているんだ・・・
その時何かが落ちる音がした
意識がゆっくり目覚める
聞きなれた街の騒音が侵入してくる
先ほどまで見ていたイメージが急速に遠ざかる
そうかぼくは夢を見ていたんだ
・・・・
あれからもう何年経っただろうか
ぼくはもう子どもではない
分別のついたいい大人だ
子どもの頃のぼくは守られ 受け容れられていた
しかし その頃のぼくはもうどこにもいない
生きていくことのむつかしさを抱えた悩めるハムレットだ
あれは何かの錯覚だったのだろうか
単なる幻だったのだろうか
いや そうじゃないという声がする
” あなたはものごとをありのままに観ることが出来なくなってしまった ”
大人になってものごとの判断ができるようになった
それは進歩ではないのか?
” ものごとには善いも悪いもない そこにそのまま存在するだけだ
でも あなたはすべてのものごとに対して
価値づけをし 評価し 解釈している
それはあなたの快・不快、好き・嫌いといった
感情がもたらしたものだ ”
ぼくはぼくだ 快を求め不快は避けたい それは当然だ
自分の好き嫌いで判断して何が悪いのだろう?
” それでは事実が見えないからだ
それらは主観という色眼鏡ごしに見た解釈にすぎない
あなたはそれを事実と思い込んでいる
その結果 ものごとをありのままに観ることが出来なくなっている
それが誤解や苦しみを生んでいる ”
ぼくは確かに快・不快の感情にとらわれているかもしれない
でも もともと人間は快楽を求める生きものだ
不快なこと 苦しいこと 不安や恐怖は誰でも避けたい
” そう思ってしまうあなたの気持ちは認めよう
しかし それは事実ではないのだ
事実ではないことを求めようとするので苦しいのだ
楽しいこともある 苦しいこともある それが人生だ
楽しいだけの人生はあり得ない
しかし あなたは楽しさだけを求めて苦しいことを認めようとしない
苦しいことも人生のうちだと思い定めれば 苦しさに悩むことはない
旅に出た時 遠い所に行くと覚悟すれば
到着するまでの時間は苦にならない
地獄が自分の住処(すみか)だと思えば
それが安住のふるさとになる
要は自分の考え方次第だ
あるがままの事実を見ようとしないで
自分の都合のいい考えにとらわれている
それを自己中心主義という 自己愛 我執ともいう
あなたの苦悩は その自己中心主義が生み出しているのだ ”
苦しいんだ 怖いんだ 安心を得たかった
だからぼくは一生懸命考えた 生きるための正しい考え方を
でもそれは間違っていたというんだね
” 生息する環境に応じて生きものの形が進化していったように
人間は思考や観念というものを発達させ 生き残った
だから それは生きるための戦略とも言える
しかし 逆にそれが人間に苦しみを与えた
動物を見てみるがいい 彼らの顔には苦悩の影はない
思考や観念というものを身につけず 自然のままに生きているからだ
もちろん 空腹とか病気とか苦しみはある
しかし その苦しみは悩み(苦悩)にはならない
あなたたちがいま苦しんでいるのは 苦悩なのだ
自分中心に考える世界はさまざまなとらわれや執着を生む
それがあなたの苦悩の元なのだ
あなたたちはこの自然(宇宙)の中で 決して中心ではない
自然(宇宙)という大きな存在の一部にしか過ぎない
あなたと自然(宇宙)は対立的なものではなく
全体のそれぞれ一部であり 全ては一体で連続的につながっている
だから自分中心の世界というのは実在しない
自然(宇宙)はあなたの意思とは関係なく動いている
自分は中心ではなく 全体の中で生かされている
そう思うことができれば悩みは軽くなる
自然(宇宙)は人知の及ばない正しい秩序を内包している
春になれば 花が咲き緑が芽吹く
カエルは卵からかえり ヒバリは天高くさえずる
この自然の摂理の前であなたたちは何も言うべきことばを持たない
その秩序に従うこと
つまり自然のままにものごとを観る 自然に生きる
それが “あるがまま” ということだ ”
あるがままにものごとを観る あるがままに感じる
あるがままに生きる
簡単なようで難しい そんなことができるのだろうか?
” それはあなたがとらわれているからだ
何に?自分の考えた価値判断や評価や解釈に
とらわれはあらゆる所にひそんでいる
生き方へのとらわれ(よりよく生きたい)
身体へのとらわれ(いつも健康でいたい)
不安や恐怖へのとらわれ(いつも心配なく安心でいたい)
観念へのとらわれ(自分はこうあるべきだ)
苦しみはあなた自身が生みだしているのだ ”
いまの苦しさはぼくの過去の環境にも原因があるのだろうか?
” ものごとは原因があって結果があるという単純なものは一つもない
原因(因)と結果(果)が縁(条件)を通して複雑に絡み合っている
あなたというピースも このネットワークに確実に嵌め込まれている
しかも ものごとは流動変化しており その関係性も日々変化している
だから これが原因でこういう結果になったと
ものごとを固定的にとらえて これに固執することは
事実から遠ざかることになる
例えば 親の愛情が十分得られなかったという人がいる
そのために心に空洞を抱えていると
その気持ちはよく分かる 確かに原因の一つかもしれない
だからそれをさぐってみるにも一つの方法だ
そこで親も苦しんでいたという事実を発見するかもしれない
それを知ってあなたはどうするか
つまり あなたの苦悩は起きたできごとにあるというよりも
それに対するあなたの受け取り方 考え方からくるものだ ”
ぼくは不安なんだ この先に幸福が約束されているのかと
そのためにいつもいつも何かを探している
” あなたはいつも不満を抱えている
求めているものはこれではない 何か足りないと
いまここにあることの幸せを いまこの瞬間の奇跡を
あなたは気がつかない
過去にも未来にも 実際のあなたはいない
あなたが現実に存在するのは今だけだ
今あるもの 今あることに意味を見つけないで
今はないものばかりを探している
幸せは “いつか・どこか” にあるのではない
今ここにしかない ”
ぼくは幸せになれるのだろうか?
” 遠くまで春を探しに行かなくても
春はすでにあなたの庭先の梅のつぼみにある
日々のふつうの暮らしの中に幸せはある
自分が手を伸ばせば届くところにあるんだ ”
そう言うと外からの声は突然消えた
ぼくはしばらくぼーっとしていた
何か これまで感じたことのない不思議な感覚があった
こころは明け方の空気のように澄んでいる
ただ 脳のネットワークがあちこちで活発に活動を始めている
まるでマインドフルネスのような状態だ
ぼくの目の前には 現実の世界がありありと見えている
かげろうではない リアリティのある世界だ
ドアが さあ開けなさいとぼくを誘う
ドアを開けた先に何があるのか ぼくは好奇心を抑えきれない
食卓のスープが湯気を立てている
おいしそうな料理が嗅覚をくすぐる
ぼくのために用意されているようだ
イスがさあ座りなさいとぼくを待っている
座り心地がよさそうな肘付きのイス
ぼくはこんな歓待を受けたことがない
食卓の向こうでは犬がしっぽを振っている
きみはいつも変わらない
どんな時でも ぼくに寄り添ってくれる
外に出た 目の前に伸びる道がぼくを誘っている
この先にきみの知らないが街があるよと
小さな家が建っている
どうぞ訪ねて下さいとぼくを誘っている
誰が住んでいるかも知らない家
だけどきっと居心地の良い家に違いない
広々した野原がぼくを誘っている
思いっきり走り回ってごらん
気持ちが晴れ晴れするよと
人が歩いている 知らない人だ
にこやかに挨拶をしてくれる
古くからの友達のような気さくな様子だ
ぼくの閉じたこころが 温かくほぐれていく
なぜだろう
なぜか出会う風景のひとつひとつが 生き生きと見える
ぼくとつながって見える
単なる風景に過ぎなかったものが すべて親密に感じられる
かと言って押しつけがましいわけではない
これまで ものがそんな風に見えたことがなかった
これまでは すべてのものがぼくによそよそしかった
ぼくも 自分に関心がなければ
見えていても何も目に入らなかった
でも 今はものや人があちらから働きかけてくる
同じ世界なのに 全く違って見える
何が変わったのだろう
ぼくは受け容れられている
ぼくは許されている
この自然に宇宙に 存在することを
ぼくらはこの宇宙に漂いながら
すべて因果と縁のネットワークに結ばれている
ぼくはあなたで あなたはぼくだ
苦しいのは自分だけだと思っていたが そうじゃなかった
みんな同じように悩み そしてつながっていた
ぼくはひとりじゃない